そしてまたキスをした俺だけを求めてくれるならの続きです。








「わからない、のか」

イギリスが妖精の中でも一番物を知っていそうな者に尋ねるたら、彼はその白い髭を撫でながらこくりと頷いた。絶望的な気分になる。何でも、原因がわからないことには解決法がわからないらしい。

「お前、何か覚え無えのか」

振り返ってフランスに尋ねると、こっちは真剣だというのにどこか呑気な顔で、わからない、とフランスは――昨晩会ったばかりの女は、言った。男だったら殴ってる、と心の中でイギリスは呟く。

「全部、はじめっから言ってみろ」
「はじめっからって?」
「……女になる前日はどうだったんだ」

前日ね、とフランスはその豊かな胸を抱えるように、腕を組む。何気ない仕草だが、イギリスは見ていられなくてさっと目をそらした。
女なんかじゃない、フランスだ。あの、腐れ縁で、長年の宿敵で、たとえそういうことを致しても、けっして甘さなんかは持ち合わせない、持ち合わせてはいけない関係の。

「特に何も無かったと思うんだけどな」
「とりあえず言え」
「まずは、目覚めたら俺の家じゃ無かったから、家主に別れを告げて、とりあえず自分の家に帰って」
「お前の家じゃ無かった?」
「あぁ、うん。女の子の家だった」

フランスは、その唇で言う。イギリスは聞くのさえ気分が悪くなり、少し低い声で先を促した。

「なぁに、不機嫌そ。お前だって人のこと言え無いくせに」

お前と一緒にすんな、と言ったところで昨夜の件があるし、イギリスは、さっさと進めろ、とだけ言った。
フランスは女の顔でふわりと笑った。昨晩と違っておそらく化粧なんかはしていないのだろうに、綺麗だな、なんて思って即座に頭の中で打ち消す。きっとまだ朝だから頭がしっかりと動いていないのだ。

「えっとそのままシャワー浴びて、仕事して、夕方に帰ってきて、晩飯食って、寝た」
「飯は何食った。変なもん入ったりしてなかったか?」
「お前んとこのじゃねぇんだから、大丈夫だよ」
「……うっせぇよ」
「……ところで、まだ朝ごはんまだだろ? 何がいい?」
「ちょっと待てよ、まだ話が」
「食べてからじゃダメなの?」
折角、わたしが作ってあげるって言うのに。

昨夜初めてあった女の言葉で言って、フランスはそのくすみの無い金髪をくるりくるりと指でもてあそぶ。

骨の髄が熱くなると同時に、背筋に悪寒が走る。

お前は誰だ、と問いたくなる。長年の腐れ縁だということは知っている。知っていても、問いたくなる。お前は誰だ。俺の知ってるフランスじゃない。その顔も、その身体も、俺の知ってるフランスじゃない。俺がその背を追いかけて、逆らって、喧嘩して、戦争して、友好関係を結んでみたりして、長い長い時を過ごした、共有した、フランスじゃない。それでもその髪も、その瞳も、ああ、その表情も、その仕草も、確かにあいつの物なのだ。お前は誰だ。お前はフランスだ。だけど、だけど。

台所の方へ行こうとしてた腕を掴んでコチラに引き寄せる。倒れて来るなんてことは無かったが、簡単に引き寄せられた腕は確かに女の物だった。当たり前だ。昨晩、何よりもこの身体でそれを実感したのだ。

「……何でお前は後回しにできるんだ」

自分が出した声の余裕の無さにイギリスは呆れた。

「別に、そういうつもりじゃ無いよ」
「食べたからじゃダメか、と言ったじゃねぇか」
「……お前が腹減ったかな、と思って」
「そんなのは後でいいから。まずはお前のことだろ」

腕を振りほどくこともせずたったままこちらを見下ろして来る青い目を見上げると、それは二、三度瞬きをした。ごめんね、と言葉が降ってくる。イギリスはそっとその腕を放した。ちらりと見ると、白い腕に掴んだ跡が赤く残っている。

その白と赤を頭から振り払うように、イギリスは努めて話を進めようとした。

「それで、その、女になった当日は、どうだったんだ」
「……どうだった、と言われても、本当に、起きたら女だったんだ」
驚くぜ? ほんの数時間前まで無かったもんがあって、ある筈だったもんが無ぇの。

どうだ、と妖精の方へ目配せすると、彼は小さく首を傾げた。わからない、のだそうだ。

「……夢なんかは、見なかったのか」
「えーっと、……あー見た見た。見たよ」
「どんな」

女になって、イギリスの隣歩いている夢。

フランスが何を言ったのか、わからなかった。どうなって、誰の隣でどうしてる夢だって? え、なんだ?

「……お前、適当なこと言ってんじゃねぇぞ、コラ。誰のためにこうして考えてると思ってんだ」
「イギリスさん、怖ーい。でもね、それが嘘じゃないんだよなぁ」
「じゃぁ、何で早く言わねぇんだ、関係ありそうな感じプンップンじゃねぇか、あ?」

だよな? 妖精へ問う。彼は満足げに頷いた。そして、きっと、夢が叶ってしまったのでしょう、と彼は言う。
イギリスは、これはどちらかというと、いや、確実に、悪夢が実現した、と言うべきじゃないのか、と思った。

『妖精の魔法で、そういうものがあります』
「そうなのか? おい、聞いたか、フランス」
「いや、お兄さんにはわからないからね? 妖精さんのお言葉」
「ああ、そっか。何でも、妖精の魔法で夢が実現するという物があるらしい。……それは、解けるんだな?」

妖精は、もちろん、と言った。イギリスは、ほっと、息をついた。フランスは首を傾けて、こちらを見ている。

「解けるらしいぜ。……で、どうすればいいんだ?」
『願えば、いいんです』
「願えば?」
『そう。夢に出るほど願えばいい。魔法にかかってしまう前の自分を』
「そう、か」
『ええ、それしかありません』

願えば夢にでるのか、とか、夢を見るまで待つしかないのか。イギリスが問うと、妖精は、えぇ、と頷いた。イギリスはしょうがないと納得して、ありがとう、と妖精に告げると、妖精は優雅にお辞儀をして、ぽん、と音をたてて消えた。

さて、どうしたものか。解ける方法は見つかった。しかし……反対の、夢を見るだなんて。

「で、どうすればいいの?」

フランスはじっとこちらを見てくる。心の無しか不安そうだ、と思った。当たり前だ。いくら変態だからって、いきなり女になったのだ。戸惑うし、戻れないなんて思うと不安だろう。いくら本心を飄々と隠すのが上手い男だったとは言え、今はそれどころではなく、本音が透けるのにさえ少し同情してしまう。

「お前が見た夢の、反対を見ればいい、んだとさ」
「反対の、夢?」
「ああ、そうだよ。女のお前を夢に見たなら、今度は男のお前を夢に見たらいいんだ。元の姿に戻って、女遊びしてる自分でも思い描いとけ」

簡単だろ、よかったな、とイギリスは少し荒っぽく、強く、フランスに言った。自分に言い聞かす様でもあった。大丈夫だ。変態のこいつのことだ。すぐに女としたくなって夢に見る筈だ。きっと、そうだ。

「ふうん。じゃ、逆に、俺が男だった俺を夢に見れなければ、ずっと俺はこのままなの?」
「そう、なるけど……って、縁起悪いこと言ってんじゃねぇよ」

本当に、縁起が悪い。ずっと、フランスが女だなんて。フランスが、女のままだなんて。なんて性質の悪い冗談だ。
慣れた体温、知らない柔らかさ。抱かれる側が抱く側に変わる。もしかしたらもうこれからずっと、その違和感から、触れ合うことなど無いのかもしれない。どちらにしても、もう男を感じることは無いだろう部分は、いつの間にか男だったフランスを忘れるだろう。

忘れてしまうのか、と思った。同じ体温がすぐそこにあるというのに、忘却の彼方へ行ってしまうのか、と思った。お前も俺から去ってしまうのか。その時、目の前の女はどうしているのだろう。もとから女だったかのように笑っているのか。それとも忘れてしまった俺を嘆いて、責めるのか。

責めたいのは俺の方だ、とイギリスは心の中で叫んだ。

ずっと、ずっと、求めてきたのだ。腐れ縁だ、熱の捌け口だ、と頭で思い込んでも、ずっと、あいつだけを求めてきたのだ。確かに男なんだから女の身体には反応する。だけど、思いの先はいつもあいつで、その体温を得られるなら何だって許した。たまに自分ばかりが思っている状況が嫌になって、女に逃げて、何度も諦めようとしても、思ってしまうのはあいつのことばかり。名も知らぬ女たちとフランスとでは、俺の中では比べられようも無い物なのに。絶対口にも、態度にも出してはやらないけど。
それなのに、お前は。お前は。安易に女になんかなりやがって。俺の気もしらないで。そうなんだろ、どうせ、お前にとって俺は他の名も知らぬ人間たちと同一の扱いなんだろ。でも俺は。俺は違ったのに。

少しでも、伝わっていればいいと思ってた。知られるのはすごく嫌だけど、少しだけ、伝わっていればいいと思ってた。俺が男として、男のお前に己を許していたのは、何でだかわかってたのか。わかって無いだろうな。
きっと今では本当に単に、そうしたことがしたくて、してると思われてしまうんだろうな。違うのに。

言いたいことがいっぱいあって、その殆どが口が裂けても言えない代物ばかりでしかたなく黙っていると、目の前の女が、ごめんね、と言った。

「ありがとう」
「うっせぇよ、はやく飯作れ。腹減った」

しばらくして出てきた料理は、俺の知ってるフランスのものと寸分違わぬ物だった。

でもお前は俺から去ってしまった
なぁ、戻ってきてくれよ。そしたらいくらでも素直になってやるから。