Private Paradise」の葛野桜さんが書かれたお話です。
かるぱぶる」と対になっております。








 籠にいくつもの野菜を放り込んでいく。
 夕暮れのスーパーマーケットだった。想定していた料理の粗方の用意を放り込んだあと、頭の中で家にあるはずの調味料や残っていた材料やらを思い返す。これで買い漏れはないはずなんだけどなあ、とぶつぶつ口に出してひとりごちながら振り向いた。連れがいない。
 そうと気付いてあちこちを眺めまわしてみたが、当然ながら背の高い棚に囲まれているのと、夕方とあって仕事帰りの人間も多いせいで遠くまで見渡すこともできず、ちっと軽い舌打ちをする。傍らにいた若い女性が少し驚いたようにこちらを見上げた。はっとして、軽いウィンクを投げる。
「連れを見失ってしまってね、失礼お見苦しいところをお見せしたようだ」
 あら、と仕事帰りらしい装いに身を包んだ女性は籠を持っていない側の手を、頬にあてて首を傾げた。豊かなブロンドが波打つ。いかにもな籠の中の肉やら人参やらとは不釣合いでおかしかった。
「いいえ、そのかたは共にこちらに?」
「ええ、料理なんかろくにできないやつなんですが、変なものに凝るやつで。どこでどうしているのやら」
 広いだけに探すのは面倒でね、と続けるとそうねぇ、と相槌が返る。ままぁ、と足元で少女の声がして視線を下げると、女性に手を絡めるようにしてこちらを見上げる少女がいた。
「まま、このおじさんだあれ?」
「こら、おじさんじゃありません」
「だって、髭をはやしているんだもの。おじさんではないの?」
 諌めながらも、女性のその口調は穏やかだ。年若い少女にとって、髭を生やしているということは直結して年齢の年嵩を表しているということなのだろう。おじさんどころかおじいさんでも足りないぐらいの年齢ではあるので、いいよ、と短く否定してはやらないことにした。そうか、それよりも、ママか。
「お菓子はひとつだけになさいね」
「えー、でもこれ、ちっちゃいから二つでもいーい?」
「だめ。ひとつはひとつと言ったでしょう? 返しにいきますよ」
 何か言葉を発するたび、母親譲りの柔らかそうなブロンドがふわふわと肩ぐらいでゆれている。自然、混雑の中では立ち止まったままでいるわけにはいかないので、流れにのって横に並んで歩いた。きゃっきゃと声をたてて母親とはしゃぎながら、時折こちらをちらちらと見上げてくる。ひらひら、と空いたほうの手で手をふってやると、くふふっ、と笑って母親の身体の影に引っ込んだ。
「どれ、俺がもちますよ。……ううん、重いな。今夜のおかずは何を?」
「ああ、ありがとうございます。今日はこの子のお誕生日なのでこの子の好きなものをいくつか。……さあ、この方にいくつになったか言えますか?」
「えっとね、よんさい!」
 言いながら見せてくる手の指は五本ともたっている。母親も苦笑しつつも受け入れているので、そうかそうか、とうなずいてやりながら後ろからおいかけて、くしゃくしゃと頭を撫でてやった。籠を二つ、無理に持ってしまった手が重さにきしりと痛んだがまた、くふふっ、と少女は笑う。
「しかしこんな大きな娘さんがいらっしゃるようにはみえませんね」
 お上手ですね、と穏やかに女性が受け止める。本当のことなのになぁ、とぼやいても軽く流されてしまった。流石のフランスにも子どもの目の前でさて口説いてみようかという気持ちになれなかったのだけれど、言った言葉は本当だった。たまたま早くに帰ることのできた仕事帰りのキャリアウーマンの、いつもはきっちりと束ねられた髪を下ろした姿。そう形容するほうがふさわしいそれは、決して服装のせいだけではないと思う。
「今日は珍しくこの子の父親が帰ってくる日も重なってくれて」
 そうそうぱぱがね、と少女が相槌をうつ。
「それは重ねておめでたい。ご馳走にもなるもんだ」
 ふふ、と笑いながら女性が籠に放り込んだ肉は、最上級のものから二つほど値段の下がったものだった。フランスの手前、見栄をはったのかどうか微妙なところだ。更にそれから二つほど値段を下げたものを手にとる。いつもより少し安いものになるが、まあいいだろう。女性はそれについて何の反応も示さなかった。
「料理はよくなさるんですか?」
「男の料理、というほどの雑なものなら」
 さらりと嘘をついて、謙遜をする。今日はカレーなんですよ、簡単でしょう。そう続ければ、そうかしら、と言わんばかりに女性は首を傾げた。視線を自身の籠の中までおいかけて、はたと思い当たる。野菜の影になるようにして、チリペッパーだけならまだしもガラムマサラやらキドニーピーンズまで見え隠れしている。とても、「男の料理」に使うものではない。
「ああ、友人があれを入れろこれを入れろとうるさくてね。おかげ様で俺のような男ひとり所帯では彼がいなくては使うものでもないんですが」
「そう、それでは腐らせてしまうのではなくて?」
 ええ、たまにと答えたがこれは本当だ。ただし立場は逆になる。イギリス宅においてあるいくつかは、必ず一定の割合は必ず腐らせてしまうことになる。イギリスは何度か自分でそれを使って調理をしてみようと試みたらしいのだが、言うまでもなく無残な結果に終わったらしかった。それでも賞味期限を気にするよりももっと大事なことがあるのだから、とドイツあたりが聞けば恐ろしい形相で詰め寄ってきそうなことをフランスはしている。
「それよりももっと、大事なことがあるでしょう」
 微笑みにのせられて、思うがままを口にした。口にしてから、我ながらと驚く。女性はくすくすと笑って、そうねそれは違いないわ、と傍らにいる少女の頭を撫でた。訳もわからないだろう少女はそれを隠そうともせずにやはり三度、くふふっ、と笑った。
 さあ、と菓子の陳列棚の入り口まできたところで女性が少女の背を押す。ひとつを返してらっしゃい、と誕生日だというにも関わらずそのささやかな我がままも聞き入れられなかった少女は、けれど素直にはあい、と頷いて駆け出していった。走っちゃだめよ、と女性の声が追いかけるが、もう聞こえていないらしい。
「可愛いさかりだ」
 心からの賛辞をもってフランスはそう称す。くるくるとよく動く空色の瞳は父親譲りなのだろうか。目にうつるもの何もかもが楽しいと笑う少女に、幼子たちをフランスは思い出していた。年をひとつ重ねることそれだけが、とても誇らしい。誰にとっても当たり前のことを自分だけのことのように思い込み、恥じらいだけでは隠し切れずに外にあふれ出る。なんて懐かしい光景だろう。
「まるでとうに子育てを終えたかのような話をなさるのね」
 それはもう数百年も昔に、とも言えず、フランスは親戚の子の面倒をよくみていたことがあってと曖昧な言葉で濁した。そう話している間にも、止まっているままの二人は人の流れに邪魔になる。ではここでと女性に籠を返すと、視線をやっていた女性が振り向き、唇の前で指をひとつ立てた。
「ほんとうはあの子、娘ではなくて姪っ子なんですよ」
 それからすいとフランスの背後を指差し、さっきからずっとこちらをみてらっしゃるあの方が、お探しの人ではありませんか、と言うので慌てて振り向く。確かにこちらをじっと見据えている碧の瞳と目があって、一瞬射すくめられたように立ちすくんだ。ままあ、と何度目かに呼ばれてそちらへ歩いていく女性を背中を向けたままで見送る。
 イギリスはかつかつと歩いていくると、黙ったままジャムをひとつ無造作に放り込んできた。彼とその妖精がパンにつけることを好むのだという、木苺のそれだった。



「どうせ俺にはうまい料理なんてできねぇよ」
 時々プロイセンに口調が似てきたんじゃないの、とフランスは揶揄する。イギリスはあいつが俺に影響されてんだよ、と返すが、もともと似たところがあったし、まあどっちもどっちなんだろう。
 会計は当たり前のようにフランスが済ませて、袋詰めはいつもと反対にフランスがした。イギリスがひとつを手にもち、空いた手のほうをポケットに突っ込んでいる。フランスはもうひとつの軽いほうであるそれとどう交換してしまうべきかと思案しあぐね、やがて諦めた。ただ大人しく隣に並ぶ。いつもならほんの少しだけ視線を下げればかち合うはずの瞳が、今はそっぽを向いている。
「別にそんなこと責めちゃいないし、今までだって言ったことないだろう」
 これは本当で、今更そんなイギリスをどう、とフランスが思うはずもなかった。それはイギリスもわかっているはずで、つまり、これは会話の糸口にすぎなかったわけだ。だからそれに乗ってやる。スーパーの袋は会議帰りのスーツ姿の二人には少し不釣合いで、さっきの女性に言えたものではないな、と思った。
「お前が料理うまくなっちゃったら、お兄さんが来る理由なくなっちゃうよ?」
 あやすような言葉は、本当のすねている理由がわかっているからだ。そして、別に料理するだけのために来てんじゃねぇだろ、とぶつぶつ言っていいるのでそれを確信する。そうだ、付き合いの短くない身で、数分子どもがそばにいる女性と立ち話をしたぐらいで逐一焼きもちなんか妬くはずがないのだ。
「どうせ俺は、あんなふうに髪なんかのばせねぇよ」
 あいや前言撤回。そうでもないらしい。続けてでてきた拗ねた口ぶりに内心思い切りため息をつく。かつて金色毛虫と呼んで遊んでやったことを今でも恨み、というよりはトラウマに近い形で覚えているらしく、ブロンドの髪の豊かな女性にそうして反応することがやめられずにいることを、フランスはようやく思い出した。自分のせいが多分にあるのだから文句は強く言えないのだが、それにしたって長い。長すぎる。何百年前だと思っているのだ。きっと、千年単位になったってそれは変わらないに違いない。
「イギリス」
「な、なんだよそんな顔したって俺は」
 だから、面倒になってしまってそれから辿らねばならなかったはずの過程をすっ飛ばした。やや人影がみえなくなったこをいいことに、足を止めて無理やり顎を掴んでこちらに向ける。ぱちぱちと不安げにまばたく瞳を見据えて、一瞬だけかすめるように唇を落とした。ぼん、と顔から湯気が出た音が聞こえたような気さえする。
「カナダとアメリカじゃあ、子どもはうめないんだよ?」
「ッ、あたりまえだろばかぁ!」
 声を荒げて言われるが、思っていたこととやはり外れていなかったらしい。原因は少女で、フランスは関係がない。少し寂しい気もするという身勝手なこともちらりと頭をかすめたが、低く耳元で囁いて続けた。
「連想したくせに」
 彼らが膝をそろえて、けれどカナダのほうが代表をして僕たちつきあってるんです、と律儀に報告してきたのはつい先日のことだ。わざわざイギリスさんも一緒にお話があるんです、と言って来たので何かと思えばそれだった。アメリカは何故こんなこと言わなきゃいけないんだとばかり、少しむくれたように窓の外を見ていた。こら、とカナダがいさめると、それでもあの傍若無人なアメリカがかろうじてこちらを向いたのだから、言葉に嘘はなかったんだろう。いや、疑っているわけではなかったのだが。
「……ふら、んす」
「アメリカがカナダの子ども産めるならきっとあんな子なんだろうな、とか思ったくせに?」
 意地が悪いのは承知しているが、それはフランスも同じだったからだ。舌足らずに背伸びして、大人になったんだよと誇る、幼子特有に澄んだ空色の瞳。恥じらいにすぐに母親の身体の影に隠れてしまう幼いころの癖、ふわふわと揺れる蜂蜜色の髪はカナダが同じだ。似ている、と思ったのは彼らを強く強く覚えているからだ。
「いや、言うな、」
「アメリカをカナダにとられた、カナダをアメリカにとられた、ってぐずぐず泣いてたのは何処の誰だっけなぁ?」
 あのあとはあまり、互いに記憶にない。とっておきのワインをいくつか空けて、喧嘩すんなよ、とか、でも文句があったらちゃんといわないと後に残すぞ、とかなんとか言ったらしいと知ったのは後日のそのカナダからの電話からだ。二日酔いしてませんか、とくすくす笑っていたのでおかげさまで、と掠れた声で返した。
「うるさいうるさいうるさい……!」
 国がどれほど困難をかかえても、どうにかしてみるさと強い意志をたたえて果敢に挑んでいくのがイギリスという存在だ。フランスのことなら無意識にせよ甘えが乗じて強気であることをやめられない。うちに、どのような心を抱えていようとも、だ。それなのに、どうしてアメリカでは、アメリカに関することだけはいつまでたってもこうもなってしまうのか。
 ふるふると頭を振ろうとする耳に口を近づける。意地が悪いのは自覚している。このままだとまた泣かせて、機嫌をとるためにはとんでもない時間をかけなきゃいけないのはわかっている。
「なにものも、小さいままでは生きていられないよ」
 それは死んでいるに等しいことだ。彼らが身体だけではないものを成長させ続けているというのなら、必ず誰かに何かに、焦がれなければ生きてはゆけないときがくるものだ。
 ひとであらざるがゆえに、誰よりもひとらしくあるのが我々なのだから。それが彼らの場合、もっとも今近くにあった者同士だったということだ。
「知ってる」
 ひくり、とひとつしゃくりあげてイギリスはかろうじてそれだけを言った。知ってる、知ってる。その言葉しか知らないかのように繰り返し、嘲るような笑いを作っているフランスの肩に爪をたてた。泣きはしない。大英帝国は、たとえ人気がないからといって公衆の面前で涙を流すなどといったことはしない。
「……もういっかい、前言撤回」
 ひとりごちた声に、え、と声が返るが、なんでもないよ、と今度はその頭に撫でずに優しくそっと触れた。
 ほんとうは、あの子たちにいっそ子どもでも産まれたなら何かをふっきれたのかもしれない。あまりに残酷で、口にすることはできなかったのだけれど。
 背中から夕闇が迫っている。そうと気づいて帰りを急かすように手の甲で目尻をぬぐってやると、泣いていたわけでもないのにイギリスは安心したようにほっと息をついた顔を見せた。顔を隠しているうち、みっともないと自覚して取り繕ったのかもしれない。判別することはできなかったので、そのままを信じてやることにした。



「ううう……」
 正気にかえったところで案の定、いたたまれなさにイギリスは歩きながら決してこちらを向いてこようとはしなかった。どんな言葉を投げても乱暴で投げやりな言葉が直球でぶん投げるように飛んでくる。顔をしかめながら、まあ元気がないよりは遥かにいいか、とフランスは諦めた。
「ほら、帰ってお兄さんがお前の大好きな美味しいカレーを作ってやるから、機嫌直せって」
 機嫌を損ねたときよりもずいぶんとあやすのは楽だ。イギリスもこのままではいけないとわかっているし、わかっているからこそいけないのだが、何かのきっかけさえあれば戻ってくる、はずだ。ちらりとこちらを見上げてくるのでにっこり笑ってやると、すぐにふいと視線を外す。落ち着きがなく、せわしない。
 まあこの調子なら、家に帰って食事の匂いさえ漂わせればなし崩しにいつも通りだろう。そう思いつつ歩いて、屋敷の門までたどり着いたとき、ぽつりと聞こえた聴きなれない言葉に一瞬、耳を疑った。
「にくじゃが」
 え、と聞き返さなければよかったのかもしれない。聞かなかったふりをして、そのまま前を向いて家の中に入り込んでしまっていればよかったのかもしれない。しかしフランスはすぐ後ろを歩いていたイギリスへと振り向き、イギリスはにやり、といつものような笑みを浮かべてみせた。
「日本が、うちを真似してできたっていう、あれが食べてみたい」
「はああ!?まってお兄さんにその食材をまた買ってこいっていうのっていうかちょっとまってえええ俺何がいるのか知らないよ!?いまそもそも何がいるのかとか俺知らないよって日本ちいま何時!?」
「俺は、にくじゃがが、食べたい。フランス?」
 慌てたフランスを横目にみるみるイギリスが一字一句を切りながら自分を取り戻していく。そうしてふふん、と斜め下から上目遣いに強気に見上げられば、フランスはうっと詰まるしかないのだ。なんで言うこと聞かなきゃいけないわけ、と気付いたときにはもう遅い。するりと横を通り抜けたかと思うと玄関の前に仁王立ちになって、了解されなければ通さないと言わんばかりだ。
「ちょまって女王様、今日はこのままカレーにして、明日とかじゃ」
「明日は俺が日本へ出張だからダメだ」
 くっと頬を歪めて笑うさまは本当に、本当にかつての大英帝国様サマそのものだ。とんでもなく横暴で、とんでもなくわがままな方向で。
「じゃあそのとき食べさせてもらえばいーじゃん!なんなのそれ、なんなのおにーさんに対するいじめ!?」
「だってあっちではフグを食わせてもらう約束だからにくじゃがたべねーもん」
 楽しみだいいだろ、なんて舌鼓までうちだすので、ちょっとまってふぐ危ない、危なくないって言ってた!の論点の早くもずれた攻防はそうして門前にて今暫く続けられることになるのだが。
 まあ、結局は、時々落ち込むこともあるけれど無邪気にしあわせをかみ締められる余裕もあるのだ。お腹をすかせきったイギリスがようやく仕方ないと折れるまで、フランスはこれが意地が悪かったことへの報復なのかと、それを今まで考え続けていたに違いないイギリスの腹黒さを内心罵り続けた。
 
いのせんと

→"かるぱぶる"な二人