「きみのせいだ」 光も温度も感じなくなった脳に、その声は響く。絶望と悲憤の色をしている。 「きみがあいつをどうにかしなかったからわるい」 意味を掴みかねてカナダは顔を上げた。テーブルの向こうのソファ、同じ顔。鏡を見ている気分だ、と思って即刻否定する。似ている。いやまったく似ていない。レンズの向こう、アメリカの目は赤くなっていて、今もまた一粒涙が流れた。彼は嗚咽をあげていないから、カナダは視覚によってそれに初めて気づいて、同時にアメリカらしくない泣き方だ、と動かない脳の片隅で思う。 「君の愛しいフランスじゃなかったのかい。君は何をしていたの」 責めるようなアメリカの言葉を、やっとカナダは理解した。言い終えてアメリカは短く息を吐いて吸った。なんだ我慢していただけか、と安心して、でも見てはいられず視線を落としてから渇ききった唇をカナダは動かした。 「君こそ、イギリスさんが一番好きなのは自分だって、思い上がってたんじゃないの」 僕は気をつけておけ、と言ってたじゃないか。 渇いた口からは、思ったとおり渇いた声が出た。カナダはまだ実のところ、現実を咀嚼できていなかった。一方アメリカはすぐに飲み込んで、だからこそカナダを責めている。 彼らの好きな人は、互いの好きな人に奪われてしまったのだ。 それをアメリカから聞いたとき、カナダは、やっぱり、と思った。だけれども、まさか、とも思った。二人の喧嘩のようなやり取りは気を許しているからこそだとは知っていたけれど、だからこそ、そういう関係にはなり得ないだろう、と少々楽観視していた。そうでもしないと何一つ望みなんて無い事実に潰されそうだったから。 あの人は決して僕を好きにならない、とカナダは知っていた。 「君は気をつけていながら、どうして何もしなかったんだ」 「……僕に何ができた? 何もできやしない。ふらりとあの人が思い出したかのように訪れてくれるのを待つだけしかできなかったのに。君は動けただろう? 君の方が何かしらできたはずなんだ。好きな人の視界を独占することだってできていたのに、何をしていたんだ」 はやく君がイギリスさんを、あの人の前から攫ってくれれば良かったんだ。 そうすればあの人は誰も思わない。ただ特定の人物を本気で恋し、愛したりなんかしない。彼の愛は正しく博愛となって、その一端だけでも自分が受けれれば幸せだと思っていた。 「僕にとって、太陽だったのに」 周りを周ることを許されたなら、それで満足だった。 口から漏れた言葉をアメリカは理解したようで、そんな手の届かない存在で満足だったのかい、と湿った声で呆れたように言った。カナダは目を閉じた。光の無い世界は何もかわらない。 「満足だったさ。いかに遠かろうが近付けなかろうが、それでもあの人が特別を作らない限りはそれでよかった」 「そんなんだから振り向いて貰えなかったんだ」 「振り向いてなんて貰えなくてよかった」 ゆっくりと目を開いて、アメリカを見る。自分のと同じ目は涙に塗れて、その縁は痛そうに赤く染まっている。泣けたら楽だろう、とカナダは漠然と羨ましく思った。さっきから唇も目もカラカラに乾いている。 太陽が無いと雨は降らなかったな、とカナダはそう解釈した。まだまだ実感は持てていない。 「……そんなものを恋とか愛とかと呼ぶのかい。それが成就しても誰一人幸せにはならないじゃないか」 僕はそれで幸せなんだよ、と言うと、アメリカはできる限りの嫌そうな顔をして、そんなのは不純だ、と言う。 「彼は、幸せにならなくてもいいのかい」 「……人は誰かを特別に求めることでしか幸せになれないのかい」 「君が好きなのは、あの、フランスなんだぞ」 君はあの人に何だと思っているんだい、と乾いた声のまま笑うと、その顔をもっと歪めた。嫌そうな顔の上限はまだ上だった様だ。 「あの、フランスさんだからこそじゃないか」 「……狂ってる」 君は、おかしい。 正しく意味を理解したアメリカは、決め付けるように言って、ソファにどさりと横たわった。 「普通、好きな人には自分だけしか見て欲しくない、自分だけしか触れて欲しくない、と思うものじゃないのかい」 アメリカは手首で目を隠す。眼鏡はテーブルの上に置かれていた。涙はまだ止まらないらしい。 「君のたとえを借りるなら、あの人は俺にとって月だったよ。ずっと、俺の周りを周ってると思ってた。実際、周っていたじゃないか」 見出されて、育てられて、独立して、今、隣に並ぶまで、彼は俺から目を離さなかった、そうだろう? 同意を求めるアメリカの声は有無を言わせない強さがある。それは自信から来るものだろうか。もう拠り所の無くなってしまった自信。 「声をかけたら文句を言いつつ嬉しそうにしてたのに」 「君はあの人に酷いことばかり言ってただろ」 「……俺の言葉に彼が一喜一憂するのが嬉しかった」 「傷つけて、楽しかった?」 「傷つけたつもりは無いよ。ただ、からかってただけじゃないか」 それに、あいつだってしていただろう。 たしかにあの二人は口を開けば口汚く貶しあっているけども。 「……ねぇ、その後、あの人がどこに行くか知っていた?」 彼らのアレと、君のソレは違ったんだよ。だから方法を変えなきゃならなかった。 アメリカは黙った。カナダは立ち上がってテーブルを迂回して向こうのソファ、アメリカの顔を覗くようにして床に座りこんだ。 「君のせいだ」 言葉はさっきと同じ、絶望と悲憤に塗れた音がしてどうしてかカナダはひどく安心した。やっと脳は現実を受け止めきったらしい。 好きなんだ。愛してるんだ。不純だろうが、狂っていようが、これは恋なんだ。 だってこんなにも悲しい。誰にも否定なんてさせない。 「君があの人をどうにかしなかったから悪い」 もう少し優しくしてたらこの手を取ったかもしれないのにね。 カナダは言いながら、ぶらりと垂らされているアメリカの左腕を撫でた。アメリカはそれを振り払った。右腕に隠された目はまだ涙を流しているのだろうか。 「君のせいだ」 そう吐き出すと心は冷えたが軽くなった気がして、カナダはアメリカの耳元に何度も何度も注ぎ込んだ。 「君のせいだよ、アメリカ。君のせいだ。君ならどうにかできただろう? 君ならもしかしたらイギリスさんを自分のにできたかもしれない。僕はそれさえも望めなかったのに。どうにもできなかったんだ」 「……他人任せにしておいて、責めるのは一人前かい」 アメリカの右腕が持ち上がる。涙の溜まった目が現れた。睨みつけられる。カナダは怖くは感じ無かったが、急速に心が冷えていく気がした。僕は泣けないのに泣かないでくれよ。僕は泣けないから泣いてくれよ。どちらも思って、どちらも声にならなかった。 「ずいぶんと、ガキくさいじゃないか」 「好きな人を傷つけて喜ぶ君に言われたくないよ」 それが純粋な、狂いの無い恋で、愛だというのかい。 アメリカは答えなかった。カナダは問う。 「あの人達は、そんな風に恋をして、愛しあってるの」 答えを聞きたくなくて、尋ねておきながらカナダはアメリカの口を手で塞いだ。いきなりのことにアメリカは驚いたようだったが、数度瞬きをしただけで振り払ったりはしなかった。ぽろぽろと涙だけが流される。空いた手で触れると、熱い。アメリカの悲しみは熱い。温度がここにある、と溢れ出てくるアメリカの涙をくり返しカナダは指で拭った。アメリカはされるがままだった。口を塞いだほうの手にあたる息も熱い。それに伴って肺や気管支が苦しそうな音を鳴らしている。カナダの心はまた軽くなった。 アメリカが傷つくと自分は楽になるらしい、とカナダは思って言葉を探す。失ってゆく温度はこの涙で補えばいい。 「……ねぇ、あの二人は今どうしてると思う?」 どんな言葉を交わして、どう触れ合ってるんだろうね。 手の下、やっとアメリカが唇を動かした。カナダが手を離すと、その手首を掴まれる。カナダ、と名を呼ぶ声は、やめてくれ、と聞こえた。 「きっとあの人は優しく事を運ぶ。そうして、イギリスさんはそれを甘んじて受けるんだ。でも口から出るのは悪態や罵倒で、きっとそれさえも睦言と化して、さ」 「……悪趣味だ」 「罰しているんだ」 誰を、とアメリカは尋ねてきたけども、カナダは唇だけで笑ってみせた。そして、その唇をアメリカのそれギリギリまで近づける。怯んだアメリカは息を詰めた。 「それで、幾度も口付けあう。……君もイギリスさんにそういうことを夢想したの」 「カナダ」 はやく突き放せばいい。手首を取られているのはカナダの方で、アメリカの手は自由だ。力もアメリカの方が上。口付けたい人は他の人。突き放さない理由が無い。 思いながらカナダは言葉を続ける。 「ねぇ、知っていた? 月が光るのは太陽の光を反射しているからなんだよ」 そして僕らにはその一面しか見せない。君はあの人の全てを見ることはできない。 はやく、アメリカはカナダを突き放せばいい、のに。 「……めがね」 じゃま。はずしてくれよ。 アメリカは、その手でカナダの眼鏡を外した。そして、少し乱暴にテーブルに置く。 「君」 カナダが言い終える前に、アメリカは顎を少しだけあげた。カナダの乾いた唇に、アメリカの少し湿ったそれが重なって、離れる。一秒も触れてはいない。 「何をしているか、わかっているの」 そう言ったカナダだってわかってはいない。はやく体を起こして離れればいい。それでもいつの間にか二人の両手の指は絡んでいた。 「……君はバカだ」 「それは君の方じゃないのかい」 ぽろり。アメリカの目の端から涙が一粒零れる。惹かれるままカナダはそれを舐めとった。それきり涙はやんだ。 「罰しているんだ」 アメリカはさっきのカナダの言葉を繰り返した。絶望と悲憤と、それから狂気に塗れていた。自分もそんな声を発していたのだろうか、とカナダは場違いに感慨深くなる。 「そうだよ。だから、優しくしたりしない」 誰かの代わりになんかならないし、誰かの代わりになんてさせない。 繋いだ手からアメリカの温度が伝わるけども、それはより冷たさを認識させていると今更知った。構わない。世界は真っ暗だ。 「……僕はあの人以外に抱かせたりしないよ」 「俺だって、あの人以外抱かないことにしている」 それに、あの人が感じる痛みなら覚えてみてもいい。 こうすることで二人はなにより彼らに近づけると感じた。 そして、同じになる。 あの人の触れ方、睦み方を想う。 「きみのせいだ」 似ていない。似ている。だって二人はこんなにも悲しんでいる。 鏡は溶け合った。 「きみのせいだ」 だからこれは二人の声だ。 二人の絶望で悲憤で、狂気だ。 |
かるぱぶる 「僕たちつきあってるんです」 カナダはにこやかにそう言った。 アメリカは不満気だったが否定しなかった。 フランスとイギリスは同じソファ肩を並べてそれを聞いた。 驚いていたが、祝福せねば、と無理をしている表情をしていた。 二人は悲しい共犯者。罰なら既に受けているの。 いつかこの恋と名づけた思いが成就することをただ望んで。 →"いのせんと"な二人 |