淹れた時は熱いほどだったのにすっかり温くなってしまった紅茶を啜って、はぁ、と温度の無い息を吐いた。 「……どうすんだよ」 時刻は既に昼前。俺はどうしようもない憂鬱を抱えたまま、自宅の座り慣れた椅子から動けなかった。今飲んでいる何杯目かはわからない。いっそ酒を開けようか、とさえ思っている。いつもなら止めるだろう妖精たちの姿も見えなかった。 「どうしようもねぇだろ」 手ぶらじゃ行ける訳がない。 昨日一日、何もせずボーっとしていた訳ではない。それこそ朝から晩まで、西へ東へ店という店を見て回って、それでも、これだ、というものが無かったんだ。俺があいつへあげたい物が無かった。でもあいつのために、探し回ったのは確かなんだけど、確かなんだけど、あいつにとっては、だからどうした、ということになるだろう。 もちろん例年通り、酒だのなんだのあっという間に消えてしまう物片手に行くという方法もある。ここ数日の悩みは俺だけの物で、別に今年は長く残る物をやるとなんて言ってはいないのだから。 それでも、そんなのは嫌だった。何ていう話だ。それくらいなら行かない方がまだマシだ、とさえ思う。 どうせ俺一人行かなかったところで、きっと大陸の友達らと楽しくやっているだろう。そもそも俺達はそれほど仲良く無いのだ。ただあまりに長く隣人をしているというだけで。それなら、やはり、俺なんかが行かない方があいつはきっと良くて、さっさと消えてしまわない物など貰っても迷惑なだけかもしれない。 思うと、目が熱くなって、慌てて手の甲で拭う。 紅茶でも淹れ直そうと立ち上がってからやっと、今使っているティーセットがいつぞやあいつから贈られた物だということを思い出した。視界が大きく滲む。 「……何でこんなにも、お前は、俺の周りにいるのに、なんでお前は」 今度はいくら拭ったところで、どうにもならなかった。 一通り届いたプレゼントの贈り主に電話をし、わざわざ足を運んでくれた人にはお昼ご飯とデザートを振舞って、帰り際も門先まで送ってから、夕方からこっち、俺は一人でワインを開けながら未だ来ない客を待っている。 「今年は、遅ぇなぁ」 だいたいいつも、デザートまで食ってから帰るスペインあたりと入れ違いにやって来るのに。 何か外せない仕事があったのだろうか、それとも来る途中で何かに巻き込まれてしまったのだろうか。ありうる事態を考えていると、ワインの味なんて全くしない。 独りの部屋は寂しかった。向かいのソファーは貰ったプレゼントですっかりいっぱいだけれども、寂しかった。 でも、その寂しさの種は違う。物足りなさ、と言い換えた方がいいかもしれない。足りないのだ。何が。あいつが。 ほとんど無意識に電話をかけていた。許してくれるよな? どうしてもあいつに祝ってほしいんだ。何よりもあいつの言葉が欲しい。 何度も何度も呼び出し音が繰り返された後、やっと向こうは電話に出てくれた。 『はい』 寝起きとも、酔っ払ってるとも言えるような声。 「うーんと、お兄さんなんだけど?」 さすがに、何で来てくれないの、とは言えなかった。向こうからは、あ、とかなんとか気の抜けたような、確実に頭が回ってない声が聞こえる。これは、寝起きだろうか。 『うーんと、お兄さんなんだけど?』 いつの間にか眠っていたらしく、電話の呼び出し音に起きて、すっかり暗くなった部屋の灯りをつけることもせずに電話を取ると、一番聞きたいようで、それで決して聞きたくなかった声が向こうから聞こえる。焦ってまともな単語が口から出てこなかった。 『イギリス?』 伺うように、促すようにあいつは俺の名を呼ぶ。責めているようにさえ感じた。いっそう返す言葉が無いのに、何もかも全て話して、許しを請いたいとなんて思ってる自分もいる。 『なぁ、イギリス。聞いてるの?』 「聞いてる」 やっと発した声は掠れていた。喉が酷く渇いている。 『何、寝てた?』 「ああ、寝てた」 『ふうん。今は、どこ? 家?』 「家」 きっとこのままあいつの尋問に答えていって、俺は全てを話してしまうんだろうな、と思った。 『家』 答えられた言葉はすごく短い。仕事じゃなかったんだ、と思って、それなら来てくれても、ととも思った。もしかしたら忘れてるのだろうか。忘れられてるのだろうか。 「ねぇ、今日俺の誕生日なんだけど」 忘れ、てた? 恐る恐る聞くと、忘れてなんか、ねぇよ、と返ってきた。ほっとした。 「そう」 『忘れるわけ、ない』 「うん。じゃあさ、何で来てくれないの」 『……』 「待ってたのに。ねぇ。何か用事があった? それとも来れないほど、電話の一つもくれないほど疲れてた?」 『……お前こそ、俺なんかが行っても、迷惑だろ』 「なんで」 なんでいきなりそんなことを言われなきゃいけないのか、わからなかった。迷惑だろ、だなんて。 いつそんなそぶりを俺が見せた? 何を根拠にそんなことを言ってる? 「どうしてそんな風に思うの」 『……だって、そんな……お前だって大陸の奴らと一緒にいる方がいいだろ。だって……』 「でも、俺はお前を待っていたよ」 遮るように言うと、あいつは言葉をやめてしまった。ただ吐息だけが受話器越しに聞こえる。 「お前を、待っていたんだ」 『……ごめん』 「お前に、祝ってほしかったんだ」 『……ごめん』 そうじゃないでしょう? 俺が欲しいのは、そんな言葉じゃない。 「ねぇ」 『ごめん。ごめんな。ごめん。ごめん。許して、なぁ。許してくれよ』 俺はお前にプレゼント何て、できやしないんだ。 ひっく、と嗚咽とともに、俺が欲しい言葉ではない言葉が吐き出される。そんな言葉も、プレゼントもいらないのに。お前は俺に、言葉一つ、贈ってくれればそれでいいのに。 『いっつも、俺、ばっか、貰ってばっかりなんだ。俺だって、何か、あげたいのに』 「そんなの、いいよ。気持ちだけで嬉しい」 『違うんだ、違う。……そうじゃない』 言葉に混じる嗚咽やら何やらで、きっと今あいつ酷い顔なんだろうな、と思った。手が届くならこの手で拭うのに。 『……俺の周りに、お前のものがいっぱい、あるんだ』 「うん。いっぱいあげたしね」 人に物をあげるのは好きだ。特にあいつはなんだかんだで大事に使ってくれるから、ついつい沢山あげてしまう。 『いつも、俺の周りにはお前の影があるんだ』 だけど、お前の周りに俺はいない。だから。 もしかしたら俺は愛されているのだろうか。 「いつも俺の周りにはお前の影があるんだ」 だけど、お前の周りに俺はいない。だから。 ああ、何を言ってるんだろう自分は。全く格好悪いことこの上ない。それに、泣きながらこんなことを言われたところで、あいつだって余計に迷惑だろうに。 待っていた、だなんて言うから悪いんだ。嘘でもそんなことを言うから悪い。まるであいつの中に俺の存在があるみたいじゃないか。 「お前に、どうしてもあげたかったんだ。だけど、あげたい物が見つからなくて」 少しでもいいから、お前の日常に俺の存在があればいい、と思ったのに。 受話器の向こうのあいつは黙ってしまった。聞こえるのは俺の泣き声ばかりだ。 「お前ばっかり……ずるい」 『ごめんね』 やっと聞こえたあいつの声は優しげで、余計に涙がとまらない。 『でもね、俺はお前がいるから、それでいいんだよ』 「……なんだよ、それ」 全然プレゼントになってねぇじゃねぇか。 全然プレゼントになってない、という言葉に思わず笑ってしまった。 それは、俺はお前の物にはならない、という意味か、もう既にお前の物だから、という意味なのか。もちろん前者なんだろうけど。 それにしてもちゃんとわかって言ってるんだろうか。普通、お前の日常に俺の存在があればいい、だなんて言えないでしょ。 やっぱりこれは告白されているんでしょうか。やっぱり後者の意味? そしたらお兄さん、色々と、かつてないほどのプレゼントを得ることになるんですが。あぁ、どうなんだろう。 電話線の向こう、あいつはまだ泣き続けている。今なら拭うだけじゃなく、抱きしめて、キスまでしてしまいそう。 「ねぇ、お兄さん一つだけ欲しいものがあるんだけど」 『……なんだよ』 「おめでとう、て言って」 『……。そんなので、いいのか』 「いいよ。誰よりもお前に祝って欲しいんだ」 鼓膜を振るわせた音は、とりあえず今年一番のプレゼントだった。 さてさて、近々お返しに、指輪をプレゼントしましょうか。それがきっと何よりもの影となってくれるはず。 だから、お前はまた、何でだよ、て可愛くないことを言いながらも受け取ってくれればいいんだよ。 |