もう街の方では『7月14日』の前夜祭が始まっているだろう。歌って、踊って、待ちきれぬ明日を祝う。
それに対してフランスはやけに静かな自宅で、ワインを片手にぼんやりとしていた。明日は『7月14日』だ。あのお話はもう何年前のものだっけ? 悲鳴にも似た歓声。服を汚した赤は葡萄酒じゃなく血。人々は新しい時代が来るという期待に目を輝かせた。

もう誰も知っちゃいないが、俺は覚えている。忘れられないから、覚えている。忘れてはいけないから、覚えている。だからこそ、その日を自分の誕生日にもした。

「俺も、あいつのこと言えないね」

過去を思って、感傷的な気分になりながらワインを一口飲んだ。いいじゃないか、自分の一年の最後くらい。明日にはきっと笑えて、祝福の声に感謝もできるから。

「そういやあいつは誕生日、無いんだよなぁ」

自分の時間の区切りを持たないから、いつまでもずるずると過去を引き摺っているのだろうか、思って、くすりと笑う。その代わり俺はあいつが俺の誕生日にしてくれるように、割と頻繁にあいつを訪ねるのだ。気が向いたからと言ってプレゼントをして。何でだよ、なんて可愛くないことを言いながら受け取ってくれるのはすごく嬉しい。

いたって静かな部屋には、カチ、カチと時計の針が進む音だけが響いている。時計を見やると既に十一時をくるりと越していて、もう明日までには一時間無かった。
上司と一緒にパレードを出るにはもう眠っていた方がいい時刻だけど、それは断ってあるので大丈夫だ。誕生日くらいゆっくりさせて頂戴。わがままな話だけど明日くらい、国としてのフランスでは無くてただのフランスでいさせてくれ。時代の熱気に流されるままの一個人としての。

ワインを注ぎ足して、口に含み、嚥下する。その芳醇な味と香りを楽しみながら、ふと、煙草を吸いたいと思った。思ったけども禁煙中だから家に煙草はおろかライターすら無い。そもそも喫煙していた頃からあまり吸う方じゃ無かったから、吸いたいという欲求なんてほとんど無かった。もしかしたら今も、吸いたくは思ってないのかもしれない、と思う。どっちなんだ。

言ってみれば、口寂しい。もっと言えば、寂しい。
自ら好んで静かな家に引きこもっている訳だけど。

明日、あいつが来たら一本貰おうかな、と思った。けどもあいつが来たら寂しくないからいらないか。


はやく明日が、あいつが来てくれればいい。

あと一時間もせぬうちに、俺の誕生日がやってくる。