三日後は、俺の誕生日だ。俺が祝って貰う日だ。
しかし、どっかの大陸の子どもじゃ無いから、自分主催、自分主役のお誕生日パーティーなんて開こうとは思わない。まぁ、大勢で騒ぐのも、祝福されるのも嫌いじゃ無いのだけれども。

祝おうと思ってくれた人が、好きな形で祝おうと思ってくれたらいい話だから。
別に来なくても、プレゼントを送ってくる、という方法もある。電話やカードだけだったって、言葉だけでも十分なプレゼントだ。要はその気持ちが嬉しい。

それでも、何人かはプレゼントを片手に、いつも訪れてくれる。俺は、今年は何人来るだろうか、と思った。来るならこちらもそれなりに用意をしなければいけない。例えば、料理とか、ワインとか。
あれは今忙しそうだから来ないだろうな、こいつは来たとしてもすぐ帰っていきそう、だなんて、俺は簡単に見積もってみる。とりあえず、海を隔てたすぐ向こうにある島国は必ず来て、飲んで、しかも泊まっていくだろう。

会うたびに喧嘩している、けして仲睦まじいとは言えぬ仲だが、あいつはそれでも毎年、夕方頃にふらりと俺のところへやってくる。俺があっちへ行く回数の多さに比べて、私用であいつがこっちへ来るとても少ない機会の一つとして。いつも手渡されるプレゼントは、あいつが選んだとは思えない物が殆どだけど。納得できるのは茶葉くらいだ。
俺のとこで買ったワインを渡された時には、こいつただ呑みたいだけじゃないのか、とさえ思った。いや、別にいいんだけど。なんだかんだ言って、あいつと呑むのは嫌いじゃない。

それに酔いに酔ってからじゃないと、あいつはちゃんと、おめでとう、と言ってくれないのだ。

だからたまに、おめでとう、という言葉をその口から聞けずに、誕生日が終わってしまうことがある。そんな年は、あいつが帰ったあとにその言葉だけを書いたカードが家から見つかる、ということが多い。どちらにせよ、どうしてか他の奴らに伝えられるよりも、あいつの言葉の方が嬉しいのだ。

酔った、とろんとした目をしたあいつの小さな声で言われたその言葉、もしくは、去り際に残されたカードの上の流れる線が表すその言葉が、何よりもの誕生日プレゼントなのかもしれない。


さて、今年はいつも通りあいつは、なかなか伝えれぬ言葉とワインだか茶葉だかを提げて来てくれるだろうか?

あと三日で、俺の誕生日だ。