別に呼ばれた訳じゃないけど、来てやった。来るまでに女の子二、三人に声をかけてたから、まっすぐにと言うわけじゃないけど、スペインに会いに来てやった。特に理由は無い。メシを――今の時間なら夕飯をたまには一緒に食べてやろうと思って。

いつかに渡された合鍵を使うことなく家に入る。スペインが中にいるのだろう。カーテンの開かれた窓から夕日の差し込む部屋に、おい、スペイン、と声をかけようとした。

ギターの音が聞こえた。
続いて聴きなれた声。

奏でられた旋律はよく知ったものだけど、曲名はもとから知らないか、忘れてしまった。

結局声をかけないまま、音に牽かれるように足を進めると、閉ざされた部屋にたどり着いた。俺は入ろうか入るまいか数秒迷って、入らなかった。声は俺に気付くこと無しに気持ちよさそうに歌い続ける。ことん、と小さな音を立ててドアに頭をつけた。左手で木目をなぞる。音は波だ、と誰かが言った。多分あのジャガイモ野郎だったろう。思い出すだけで気分が悪くなるが、今はそんなことは早く忘れてしまうべきで、大切なのは音は波だということだ。

音は波だ。振動だ。揺れる、ということだ。揺らす、ということだ。間違ってないよな、俺。とにかく。それなら、スペインが奏でるギターの音と、歌う声はこのドアを揺らし、ドアは俺を揺らす。スペインの歌が俺を揺らす。体感できるものでなくとも、そういうことだろう。そうで無くて、間違っているとしても、俺がそう思うなら、そうなのだ。

スペインが俺に影響する。

何が間違っているのだろう。何も間違ってなんかいない。認めたくないが、それくらいは自覚している。良くも悪くもあいつの影響をうけながら俺は存在している。たとえば、他の奴に言われても別にどうでもいいけど、あいつにだけは言われたくない言葉がある、とか。他は、他は……今はすぐに思いつかないけど多分たくさんあって、思いつかないのはきっとそれだけ俺にとってスペインからの影響が日常ということだろう。

そこまで思っていたら、最後に弦をかき鳴らして、静かになった。ごと、と音がする。多分ギターを置いたんだろう。もう少し、聞いていたかったと思った。もう既にあいつの振動は無いのに、まだドアに留まってる気がして俺はより体重をそれにかける。自分でやってて、馬鹿みたいだ、とも思ってる。

足音がする。近づいてくる。

途端どうしていいのかわからなくなって、俺は慌てたままドアを開いてしまった。内開きのドア。もたれていたまま開けられていたら俺は体勢を崩して倒れていたに違いない。良かった。いや、良くなかった。

うわっ、と悲鳴がする。ドン、と何かが何かと当たる音、ドサ、何かが倒れる音もした。

「何なん、いったいわぁ。え、ロマーノ?」

尻もちをついて頭をさすっているスペインは俺に気づいたようだ。
ごめん、と謝れずに、大丈夫か、と訊くと、いけるでぇ、と呑気な声が返ってくる。

「いつ来とったん? 全然、気づかんかったわ」
「……今来たとこだ、このやろー」

ずっとお前の歌を聴いていた、とは言えずに嘘をついた。かぁあと顔に血が昇ってくのが自分でもわかる。
どうしたん、顔真っ赤やで、とスペインは立ち上がって俺の顔に右手で触れてきた。目が合う。近い。余計に顔が熱くなる一方で耐えられずに、何でもねぇ、と顔を背けた。

「えーでもトマトみたいなっとんで」

ぺちぺち、と尚もスペインは俺に触れてきて、左手は襟足あたりを梳きだした。

「で、今日は何しにきたん」
「メシ、食いにきた」
「そっか。ほな久しぶりにロマーノも一緒に作ろうや」
俺はロマーノの料理が無性に食いたなった。

その言葉に顔を向けると、スペインは笑っていた。その手がすっ、と離れていった。材料何あったかなぁ、と言いながらキッチンの方へ歩き出していく。慌てて俺もついていった。

「なんか、俺めっちゃパスタ食いたい。……ロマーノに影響されてんなぁ」

言って、あいつは眉を下げてこっちを見て笑う。俺はやっぱり、顔を背けてしまった。でも、小さく、俺もやで、ってスペインから教わった言葉で言うと、スペインは驚いたようにこっちを向いて、すごく嬉しそうな微笑みに表情を変えた。

「ほな今日はパスタで決まりやな!」
俺がお前に影響してるといい
少しでいい。わがままは言わない。ただ俺と同じ意味で。
何でこんなん好きになってしもたんやろ。